placet experiri :: 16

半分に割って保存してあったりんご。断面が茶色くなっているのを包丁でそぐと、また真っ白な側面が現れるだろう……朦朧とした頭でぼんやりと、こんな想像を繰り返していた。ベッドから這い上がって、散歩中もそんな想念が訪れた気がしたので、帰って実際にりんごを剥いて食べた。

自分はりんごを食べたかったのだろうか? そこで実際に起こっていたのは正味のところ、りんごのイメージが何度も訪れる、ということだけではなかったか? もしこれが漫画なら、何をするときもりんごが頭にある彼は間違いなく、りんごを食べたい人として描かれているのだろう。だがこれは漫画でもなければ他人でもない。

欲求を持つことから、それのイメージを繰り返し持つことを引いたら何が残るか? 何も残らない、と答えるべきだとされている。だが私には、その間に挟まった薄紙を自分で取り去ることができない。


私の心に浮かんだ言葉をそのまま口から複製する。するとそれは私が言おうとして言ったことになる。それどころか、もとからそう考えることを意志していたことにもなる。

自分の目の前を横切ったものを書き留める。だからといってその知覚に私の意志が介在したことにはならない。想像であればどうか。心的空間に浮かんできた対象を模写する。だが、それはただ物体が目の前を横切ったのをスケッチしただけではないのか。

心の中に現れた言葉を書き写した。それは落ちていた言葉を拾っただけではないのか……いや、言葉は落ち葉のように遺棄されてはいない。世界の中に遺棄されていても必ず、誰かがそれを産み出したのだと──ただ目の前を横切ったのを書き写したのではないと──信じられている。