悲劇と喜劇とは、同じ「演劇」に悲しい気分と楽しい気分とがそれぞれ色づけされたものではない。悲劇はその本性上、真剣でない、心にもないという意味での「演技」であることをあらかじめ拒んで成立している。現実よりも真に迫った、引き込まれざるをえない見事な展開がまさに「劇」的と呼ばれる意味において、悲劇は演劇であり、喜劇は「劇的」(ドラマティック)でない。
ドラマとコメディーとが「劇」として十把一絡げにされるのは、舞台上で起こるのは確かに、実在の出来事でも役者自身の本気の心情吐露でもないからだ。ところで喜劇においてはその現実でなさが劇の内容にまで侵食し、誰が見ても分かる滑稽さ(=ユーモア)を醸し出しているので、それに夢中になって観るのは不合理である。だからコメディーはふざけていて不真面目で深みがない。一方悲劇においてはこうした非実在性の侵食が見事な仕方で食い止められている。およそ劇的なものにはみな、現実の侵入を食い止める防壁がある。ギリシャ悲劇のコロス(コーラス隊)はもちろん、絵画の額縁や映画のスクリーンがそうであるように。
演劇というのはその語の見かけに反していささかも「演技」的ではない。演劇は徹頭徹尾真面目な、それも実人生を超えて真剣なものを目指す企図のことである。