作曲家の孤独と誘惑:『ファウスト博士』について
音楽というこの奇妙な芸術には本質的に、最初からやり直すこと、無から開始することが、いついかなる瞬間にもできるというところがある。それは自らが経てきた文化史と数世紀にわたって獲得したものを一切知らずに、自らを新たに発見し、再び創造することができるのだ。そのさいこの芸術は、歴史的な始源におけるのと同じ原始的段階を通過し、その発展の主だった山塊から外れて、孤独に、また世間とは無縁なところで、短い道程で並外れた美の高みに達する可能性を秘めている。(トーマス・マン『ファウスト博士』上: 114, VIII)
あらゆる因襲を度外視し、伝統のすべての相続遺産に背を向けて、まったく新たに、無から開始すること。それは、今日ますますソフィスティケートされていく高度な技巧ではなく、素人のような単純素朴な着想が偉大さへと通じる可能性である。それは芸術に残された「進歩」とは別の、ほんのささやかな、心温まる可能性であるように思える。
いや、これは心温まる可能性ではない、それどころか心も凍てつくおぞましい困難を伴った、地獄へと通ずる道であるということ──このことを示した小説として、トーマス・マンの小説『ファウスト博士』について書こうと思う。作曲家アドリアン・レーヴェルキューンは、あらゆる代償を払ってこの道を進み、傑作を書き、そして破滅に至るのである。しかしなぜ、素朴さの道は地獄へと通じているのか。
芸術家の孤独と秘密、そして恩寵──例外者の孤独からの奇蹟的救済──の可能性、それがこの小説の主題である(cf. 松浦 1961, p. 88)。この抽象的主題に従って、あらゆる登場人物は哲学的対話篇のように厳格に論証的に配置されている。それゆえ例えば、主人公の孤独に人間的な意味(他人や社会との関わりを経って一人で過ごす、といった)を読み取るべきではない。それは音楽の伝統からの断絶、ならびに聴衆や文化との繋がりの断念を象徴的に意味するのみであり、ゆえにある人物との親交の拒絶もまたそのつど、ありうる創作の方法論との訣別として読まれなければならない。(またそれゆえ、本稿での引用は、どの登場人物の発言であるかをしばしば区別しない。それらはすべて同一人格から発せられたものとしても十分に理解可能である)
冒頭の「素朴さの道」にはモデルがいる。自らが率いる教団の賛美歌を自作するために齢五十して作曲を始めた宗教家、ヨハン・コンラート・バイセルである。この年齢はそれまでの音楽史や理論の蓄積を学ぶには遅く、また既存の賛美歌は技巧的で複雑であるがゆえにかえって役に立たないと考えた。そこで彼は独自の音楽理論の体系を一から構築し、その単純な理論に従って数々の賛美歌を残した。これは中世からバッハに至る西洋音楽の発展の歴史と無関係なところで天国を垣間見せることに成功した例だった。これはアドリアンに終生強い影響を与え続けた、作中最重要の挿話である。
しかし、そうであるならアドリアンはただ単にバイセルになれば良かったのではないだろうか。なぜ彼はこの道を最初から選ぶことができず、それどころかあらゆる誘惑を断念する必要があったのか。そしてまた、なぜ音楽的才能においてはバイセルを遥かに凌ぐアドリアンが、バイセルが知りもしなかった苦難と病毒がなければ先に進むことができなかったのか。これが問いである。これに答えるためにはまず歴史的背景について、その次に歴史的認識がもたらす毒(『反時代的考察』)について触れなければならない(ついでに言うと、この主人公のモデルはニーチェである)。
典礼の道:バッハの時代
バイセルと同年代であるバッハの時代とアドリアンのそれには決定的な差異がある。
芸術は典礼の全体から離れて、孤独な個人的なもの、文化的・自己目的的なものへ解放され高められたために、関連のない荘重さ、絶対的な真剣さ、苦悩の激情を背負わされた──これは戸口に立ちはだかったベートーヴェンの恐ろしい姿に象徴されている〔…〕(上: 107, VIII)
作曲家はかつては教会や貴族お抱えの音楽家であって、神を讃え、天上の秩序を表現する目的で曲を書かされていた。作曲という活動はその時代においても孤独な作業ではあったが、それはこの典礼的な基盤によって共同体へと繋ぎ止められ、何より、自身以外の外的な目的に繋ぎ止められていた。これは音楽にとってかはともかく、音楽家にとっては幸福な時代だったと言わざるをえない。この典礼性はまた、音楽が本来もっている息の詰まる真剣さと激情からの隠れ蓑としても機能したはずだからだ。つまり彼らは、たとえ身の毛がよだつような絶望と苦難の表現を書かねばならないときにも、「これはあくまで神の受難を描いただけであって、人間であるわたくしめとは関係がありません。私はそれを計算しただけです」と韜晦してみせることができただろう(実際、対位法を駆使したフーガの作曲はほとんど数学者の仕事である)。バッハの作品はただただ見事なだけで、そこにバッハ個人を読み取ることはほとんどできない。
やがてこの典礼的な基盤が失われ、音楽家が自らが作り出した十字架を自ら背負わなければならなくなったとき、この牧歌的な時代は終わった。通俗的にも、音楽作品は聖書のモチーフの代りに作曲家自身の苦悩のエピソードを添えて紹介されるようになった。しかしもっと言えば、作曲はその荘重と厳粛を逃がす先を失って、本人が望もうと望むまいと、作曲家の自己表現であらざるをえなくなったのである。
個性と自己表現の道:ベートーヴェンの場合
この典型がベートーヴェンである。彼においては全てが彼の個性的表現となった。「楽曲のすみずみにいたるまでベートーヴェンの個性が滲透して、いわばそのどこを切り取ってもべ一トーヴェン以外の何ものでもない」(森川 1985, p. 62)という形容が、彼の成熟期の作品には相応しい。彼は「音楽に内在するいっさいの因襲的なもの、形式的なもの、修飾的なものを個性的表現によって吸収し、主観的なダイナミズムのなかに融解しようと考えていた」(上: 95, VIII)。それゆえ、楽曲における激情は彼自身の激情であり、悲愴はベートーヴェンその人の悲愴であり、そこにはいささかの韜晦もない。この直接性こそが彼の美点である。
しかしアドリアンはこの個性的表現と自己表出の道を選ばなかった。因襲の度外視という点ではバイセルと軌を同じくするにもかかわらずである。それは、他ならぬベートーヴェンその人がこの路線の限界に突き当たり、それを貫徹しえなかったことを、アドリアンはすでに知っていたからだ。因襲を力強く破壊し、あらゆる客観的拘束を解き放った後には「自由がかびのように才能にへばりつき、不毛の徴候を示しはじめる時代」が訪れること、そして主観的自由は「いつかはおのずから創造的でありうる可能性に絶望して、客観的なものに保護と安全とを求める」(中: 36, XXII)ようになることを。すなわち、因襲的なものと手を切り、その結果自らの手本と指針をも失った彼は、その絶対的孤独に耐えることができず、かといってバイセルのように神の加護を得ることもできず、最後には繋がりを求めてふたたび因襲へと手を伸ばすのである。
因襲への再回帰の道/パロディーの道
しかしそれは、最後のピアノ・ソナタ(第32番 作品111)に代表される晩期のベートーヴェンの新境地となった。特に最後の第二楽章──このソナタは緩徐楽章で終わる──では、あれほど専横をきわめたベートーヴェンの主観性が逆に客観的な定型的表現の中へと溶解させられて、ほとんど誰が書いたのか分からない作品になっている。ひとが自らの手癖を越え出る瞬間はいつも美しい。アドリアンの音楽教師はこの楽章を解説しながら言う。
トリルの連鎖! 装飾音とカデンツァ! そっくり残っている因襲の音が聞こえますか? ここでは──もう──言葉は──決まり文句〔Floskel〕を免れてはいない──そうではなく決まり文句が、その主観的な──仮象の──支配を免れているのです。──芸術は投げ捨てられる──最後には──芸術はつねに──芸術という仮象を投げ捨てる。(上: 98, VIII)引用の後半、この音楽教師がおびただしい吃音に見舞われながらようやく口にしたこと──仮象を投げ捨てること──についてはまた後で触れよう。ともあれ、この主観性と客観性の、自由と法則の弁証法的転換は後のアドリアンにとっても大きな鍵を握ることになる。
しかしこの道、因襲への再回帰の道をすら、アドリアンは選ぶことができない。ベートーヴェンの時代から更に一世紀が経ってさらに肥大化した伝統の蓄積は、作曲家の霊感に重荷としてのしかかり、その創造力を窒息させていた。それだけでなくこの歴史感覚は「すべては既にあったこと」という回帰の認識を、「《どうやって作るか》を洞察する吐き気〔Ekel〕」(上: 240, XV)をもたらす。
友よ、なぜぼくは笑わずにはいられないのでしょう?〔…〕なぜ、ほとんどすべてのことが、ぼくにはそれ自身のパロディーと見えずにはいないのでしょう? なぜぼくには芸術のほとんどすべての、いや、すべての手段と因襲とが、今日ではもはやパロディーにしか役立たないように思われずにはいないのでしょう?(上: 237f., XV)あらゆる芸術的手法はこんにち使い古された、というより、このバジリスクの眼によって見られたと同時に腐り落ち、初見にして陳腐になり、そして笑いをすら誘うのだ(この点についてはここでも散々書いてきたので繰り返さない)。
それゆえアドリアンの作品には、凡庸化した音楽表現を敢えて選んで、皮肉を込めて模倣してみせる、という呪われた特性があった。彼が不毛と知りつつ長い間やめることができなかったこの道は、翻訳家にして真のユーモリスト、シルトクナップとの終生の親交として象徴されている(しかし彼は、アドリアンが最期の作品を書き始めてから先は、最後まで一言も台詞を話さなくなる)。
愛と人間性の道:仮象の芸術
絶対的孤絶は結局のところ自らの自由に耐えきれず、何らかの繋がりを求めて客観的なものへと道を譲らなければならなかった。しかし、因襲が力を失った現代においてもその因襲に縋ろうとするなら、それはパロディという歪な形を取るほかなかった。さて、ここにはもう一つの、そして最も強力な誘惑があった。それは人間的なもの、聴衆や文化との繋がりを求めて、そもそもの孤絶を克服してしまうことである。つまり、典礼性を失って主観化された苦悩や激情を、再び客観的なものへと逃すことがもはやできないのならば、そもそもその苦悩を取り除いてしまうことはできないのだろうか。あるときアドリアンは言う。
芸術の全生活感情は、信じてくれたまえ、変わるだろう。しかも明朗で、より謙虚なものに変わるだろう──これは避けがたいことなのだ、そしてそれは幸福なのだ。多くの憂鬱な野望が芸術から剥落し、ある新しい無邪気、いや、無害が芸術の持ち前となるだろう。〔…〕苦悩のない芸術、精神的に健康で、厳粛でもなく、悲痛でなく親しみやすい芸術、人類と君僕で呼び合う芸術が……(中: 274, XXXI)
もちろんアドリアンはこの来るべき晴朗な芸術を心の底から信じていない、そうするにはあまりに人間味のなく冷たい人間だった。しかしその彼にすらこの人間的なものへの誘惑は常に存在したのであり、それはこの小説において、恋愛関係として象徴的に表現されている。ヴァイオリニストのシュヴェールトフェーガー、人懐っこく愛らしいこの美青年は、自分のためのヴァイオリン協奏曲を書いて欲しいとせがんでこう言う。「あなたはだいたいカデンツァを作らなくていい。そんなものは時代おくれだ。あなたはすべての因襲を捨ててしまってもいい、楽章の区分だってね──〔…〕一切が非因襲的であったって全然かまいはしない。どっちみちぼくは人々に涙を流させるようにやってみるつもりだ」(中: 323, XXXIII)。この道もまた因襲の度外視の一形態だが、その断絶は今度は典礼でも因襲でもなく、「涙を流す人々」すなわち聴衆への繋がりへと保護を求める。この誘惑者はアドリアンが病気で弱っているときに再三再四現れ、頑なに孤独を守ろうとする彼を親称の「君(Du)」で呼び、ついに彼は打ち負かされる。そして彼はそれを書く。「人類と君僕で呼び合う(auf Du und Du)芸術」を。
この道は決して傑作を産まなかった──だからこの青年には破滅してもらわなければならなかった。語り手の率直な感想は、この名演奏家(ヴィトルオーソ)向きでサロン向きの愛らしい作品は、間違いなく素晴らしく彼にしか書けないものの、その仮借のなさは影を潜め、どこか妥協的であるというものだった。聴き手の美的判断にそれ以上の理由づけはない。しかし、それはなぜだろうか。晴朗で健康な芸術の時代は今日もなお訪れる気配はなく、作曲家はなお、楽曲のうちであらゆる犯罪を、大量殺人を犯す権利を有している。ああ、そんな狂気と病的陶酔はすっかり追い払って、ただただ心温まる芸術、残酷さや野蛮さのない、純粋にアポロン的な芸術を楽しむことはできないのか。
いや、まさにそのような仮象の芸術の可能性の方こそが、今日、根底から疑問に付されている当のものなのだ。「あらゆる仮象が、最も美しいものですら、いや、最も美しいものでさえも、今日では、嘘〔Lüge〕となってしまったのではないかどうか、それが問題となる」(中: 19, XXI)。ここにはニーチェにおける詩人の問題がある。詩人はまず、作品が自己の表現活動の産物であることを否認する。これはわたくしめが考え出したのではありません、あのとき確かに垣間見たもの、天から降ってきたものを、神(ないし人間精神)の侍従であるわたくしめはただ書き留めただけです、と。しかし、「ある作品がそういう風にしてできたためしは決してない。それはたしかに労働、仮象を目的とした芸術労働なのである」(中: 18, XXI)。それは辞書をひっかき回して拾い集めた言葉を組み合わせる労働であり、しかもその労働は仮象を目的としている。だから詩人は嘘つきである。神だとか人間愛だとか、どちらも同じことだ、そのじつまったく真剣でも心の底から出たものでもない言葉を組み合わせた仮象の世界、そこで惨めな散文的日常を逃れて想像的に慰めを得ようとする心性、真理への鈍感さ、現実の生の、生活の軽視!
だから仮象は投げ捨てられ、芸術は認識とならねばならない。そして、芸術の狂気と不道徳にではなく、その健全さと無害の方にこそ良心の呵責を感じざるをえない、最も悪魔的にして最も敬虔な心性において最後に許されているのは、「苦悩をその現実の瞬間に、虚構や遊戯をまじえず、ありのままに変様させずに表現すること」(中: 131, XXV)、これだけである。パロディへと横滑りすることなく、想像ないし代弁された仮象の苦悩ではない、現実の苦悩を。
以上がアドリアンの前に現れた悪魔が述べた教説である。お説ごもっとも! しかしこれは人間愛から一マス戻ってベートーヴェンになれ、ということでしかないのではないか。確かにこの点で彼はやはり素晴らしかった。だがその道はもう無理だという話だったじゃないか。苦悩せる主観性の自由と孤絶は自らに耐えきれず客観的なものに庇護を求めるが、しかしその庇護者である通時的な繋がり(因襲)も共時的な繋がり(典礼的ないし人間的なもの)も断念するほかない、というのがそもそもの問題だったからである。
以上がアドリアンが陥った困難のすべてであり、こうして「作曲そのものがあまりに困難に、絶望的に困難になってしまった」(中: 128, XXV)のである。上に節題で示した五つの道はすべて塞がっている。ゆえにこの小説の問題はつねに行き詰まりの「打開」という形をとるのだ。どうか次に私が書く答えを見る前に、一緒に途方に暮れてみてほしい。問いを立てて読んで欲しい。「世界には結局一つの問題しかないのだ。いかにして打開するか? いかにして自由の野に出るか? いかにして蛹を破り蝶になるか?」(中: 250, XXX)
参考文献
- トーマス・マン(1947)『ファウスト博士』関泰祐・関楠生訳, 岩波文庫, 上中下巻, 1974年.〔引用には同邦訳の巻号とページ数、章番号を記す。ただし訳は一部拙訳による〕
- 松浦憲作(1961)「ファウスト博士」『ドイツ文学』27: 85–92. PDF
- 森川俊夫(1985)「『ファウストゥス博士』 におけるクレッチュマル講演について」『言語文化』(22) 別冊: 59–68. PDF
- エーアハルト・バール(1989)「非同一的なものの同一性──アドルノの『美の理論』に照らして見たトーマス・マンの『ファウストゥス博士』における芸術の弁証法について」『大阪経大論集』55(6): 171–190, 六浦英文訳, 2005年. PDF
- 杉村涼子(2009)「『ファウスト博士』におけるヴェンデル・クレッチュマルの章について」『京都産業大学論集 人文科学系列』(40): 83–103. PDF