placet experiri :: 37

日記執筆法/地獄行き往復切符

なに、思考は地獄であると? 一歩考え進めるごとに激痛が走る、ですか。どれどれ、見せてごらんなさい。……ああ、やめてください、今すぐそれを! おい、止めろと言っている!

……失礼、取り乱しました。ですが、なんてやり方をしているのですか貴方は。それでは肩を痛めます。そんなに光を一点に集中させては目を痛めます。貴方はいつからこのやり方で?……そうでしたか。では、代わりにこれを信じるのです。

日記帳を一つ用意します。日記ならもう書いている? なら話が早い。ではそこに何でもかんでも書くのです、ただそれだけです。いいですか、「何でもかんでも」とは本当に文字通りにですよ。夢日記、想像された発話、タバコを吸ったこと、他人に送るメールの下書き、料理のレシピとその反省点、何でもありです。自分の直視したくもない恥ずかしいことでも、笑いすぎて呼吸困難になったYouTubeのリンクと同じページになら書けそうでしょう? 人生と同じですよ。ただし、一日の終わりに今日あったことをストーリー仕立てで振り返る、なんてのは最悪です(もしやっていたら今すぐやめてください)。そんなデタラメ三文芝居が自動生成される前に、生まれた想念をその時点において掬い上げるため、私は、各段落の始まりを現在時刻の四桁で始めることをおすすめしています。そうして雑多でノイズまみれになったその日記帳に、いざ、貴方の思想を記すのです。研究草稿やブログの下書き、論文の原稿すらここに書きます。ためしに昔来ていた患者の日記を紐解いてみましょう、特別に一部だけ公開許可が下りました。

1130、スタバ、シュガードーナツ。気分は晴れた。意外と純粋哲学の日だった。カント全集なんか持ってきてない。まあいい、今日は本は読まない。問題を簡単にするだけだから。

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例えば「空間における右と左の差異とは何か」と問われた者が、自分が文字を書く手が左であるとかいった数々の経験的徴標を探した末に、ついにはそのような内容的な差異は一つも見当たらなかったと答えるとしても、それは驚くべきことではない。世界には──世界の中には、ではないにせよ──そのような単なる内容規定性に落ちることのない差異が確かに存在する。知覚と想像の差異もまた、このような種類の差異だと考えることはできないだろうか。……

この患者、するなと言ったのにところどころ清書して寄越してきましたが、まあいいでしょう。中身は理解しなくて構いません(「<<」は検索用の修飾子だそうです)。まず時刻と場所を書いて、それから何気ないそぶりで雑談を始めます。この時点ではまだ執筆しようなどとは決めていません。眠ければ眠いと書き、考えるコンディションじゃないならそうと書いて、代わりに何の作業をするかを書きます。しかし、いま書いてる原稿の寸評くらいなら書けるのではないでしょうか。寸評とはこんなものです。

2017、夕食、豚バラ大根。

> ……(引用略)……

うーん。自分の議論は煎じ詰めれば「続き物になるような想像**も**ある」と言っているだけのような気がするな。もっと良い話だと思っていたけれども。別の切り口を探そう。この話はいったん凍結。

消さずに残された「うーん」がいい味出してるじゃないですか。これこそ言語の特権です。自分の描いた絵に対する感想をふたたび絵にするのは骨が折れるでしょう? ともあれ、この程度なら寝不足でも書けそうですね。……失敬、何も思いつかない不能の時間が誰にでもあります、だからハードルは極端に低くあるべきだと言いたかった。そういうわけで私は、何も思いつかないときにもとりあえず、昨日書いた文章の最後の段落を丸ごと引用してみることを推奨しています。慣れてくると、ある程度まで考えた後に「封じ手」をして中断できるようにもなりますから(明日の自分の連続性を信じるのです)。最後に重複を整理して串刺しにすれば完全原稿の出来上がりです。順不同に書きましょう。

それでも何も思いつかない? なら「何も思いつかない」と書けばいいのに。「でも/とはいえ……」と続けたくなってきませんか。何をしたいか分からない? なら「何をしたいか分からない」と書くのです。苦しくて何も考えられない? では「苦しくて何も考えられない」と書いて遂行的矛盾にしてしまいましょう。

そうそう、さっき少し触れましたが、一度書いてしまったものは決して消さないこと、この原則を守ってください。恥ずかしがらずに、これは誰にも見せないものですから。フロイト゠ラカンの教えを真面目に取るなら、言い間違いや書き損じ、失策失錯行為にこそ思いがけない生命が宿るものでしょう。生じたとたんに無かったことにしたくなる想念こそが貴方の真実を映し出す鏡になります。だから消さずに保管庫に移しておくか、代わりに取り消し線かコメントアウトを使ってください。例えば「~~少し~~動揺している」こんな風に。ほら、この打ち消された「少し」が何よりも雄弁でしょう? たくさんの否認、数え切れない自己欺瞞、それを一つ一つ明らかに見ていくこと……尤も、それで気が狂ったとしても私は責任取りませんがね、ハハハ!

そうそう、日記はもちろんデジタルです。スマホで布団に籠りながらでも書けて、後から全文検索できなければ意味がありませんから。それから、日付をファイル名にします。「きょう」と打って変換するとほら、「2月14日(月)」に化けたでしょう? Wordなんか捨ててプレーンテキストになさい、~~取り消し線~~も<!-- コメント -->もマークダウンで書けます。水平線だって引けるんですよ、こうやって



どうか!

もっと嫌って 際限なんか奪って

衝動なんかもうどうなってもいい

崇める意味が溢れる前に

オリジナルの地獄に落ちて

── プロトディスコ - ぬゆり

絶望する、なんてのはぜんぜん趣味じゃないな。どんなに黒く塗り潰しても千分の一の白地が気になって眠れない。ペンキをぶちまけても剥離紙の上だってもう気づいてる。でもこれ、自分じゃ剥がせないんだけど!

哲学なんかぜんぜん役に立たないよ、「およそ思考というものは〜」とか言っちゃってさ。そんなふうに問題を普遍者の水準で立てたら、「ゆえに現状がかくあるのは必然的で不可避だ」ってなっちゃうじゃん。理論を当て嵌めようにも隙間から砂粒ばかり入って適わない。ならそんなレゴブロック全部バラしてひとカケラづつ、戦略的に手を打って駒を進めていこうよ、いま君の手番なんだけど?──陳腐なこと言うな、そんなこと分かってる、だって? 悪い、そうだよね。ボクだって君の個別的問題の答えを知らない、一緒に途方に暮れているだけ。日記執筆法だって知ってたらもっと早くアイツに教えたさ。ああ、こんなちっぽけで的を外したやり方が外に繋がっていたなんて、まったく暖簾に腕押しで腹立たしいね。だから君もさ、もうちょっと凡庸で新しくもない素直な打ち筋探してよ。混同しないで、ここでは真でも美でもなくていいんだからさ。

もしかして君、ボクが答えを知っててわざと隠してるって思ってる? それか、こういうとき頼りになるのは医者だけだ、とかさ。違うって言ったでしょ? あいつら本当は何にも知らない、知っていると想定されている(supposé savoir)だけ、踊らされて余裕ぶってるだけ。そうやってカラカラの脳みそを絞って無理やり紡いだ処方箋を、僕らはいつも、自分は何も失うことのない安全な場所から鑑賞してるんだ。それでいて踊らせている自覚はない僕らのその狡猾さに、今もただ違う言葉を待ち続けてる。教師、師匠、牧師、医師……師のつくもの全部偶像だったよ。だからあの窮屈な場所に閉じ込められてまた溢れてしまう前に、どうか、オリジナルの地獄に落ちて、それから! それから、君の言葉にその血を通わせてみてよ。君自身の血で、いつも祈ってばかりに浪費してるその言葉で、再来の審議ばっかで錆びついているその言語で、もっと!

これ読んでるそこの君、僕のことじゃないやって思ったキミ。それ、見つけたらボクにもこっそり教えてよ、キミらお手製の蜘蛛の糸。いつまでも抜け道ばっかり探してないで、雷に打たれるのを待っていないでさ。誰もが見落とした灯台のふもとに火を灯して、あっと驚く正攻法を示してよ。どうか!

どうか

もっと描いて 空想なんて拭って

盲信ばっかもう窮屈なの

油を差して 火を灯して

錆びついている言語に血を通してみて